NICO Touches the Wallsの話

自分の中ではしょうもない話ではないのですが、心の整理をするために載せておきます。

これはNICO Touches the Wallsを応援してた自分を残すための自己満足文章です。まだ心の整理がつかず感情のままに書きなぐったので乱筆ですが、自己満なので知ったこっちゃありません。

さて、2019年11月15日、地元北海道では今年2度目?3度目?の雪が吹き荒れている中、私が人生で一番応援していたであろうバンド、NICO Touches the Walls(以下、ニコ)が終了報告をしました。

心の整理がついていません。

私は多趣味というか、好奇心旺盛で感受性が豊かなので(とってもいい言い方!)、見たものはなんでも面白いと思うチョロいにんげんです。オタクです。

だから好きなものとかは沢山あって、何が一番!っていうのはなく、どれにもいいところが沢山あって素敵だなと思っています。が、ハマるのにも波は結構あって、急にブームが来たり、掘り返してみたり。割と忙しない感じでツイッターライフを送っています。旬ジャンルには乗っかってたり乗っかってなかったりするし、追いかける期間もハマったら長い方、でも疲れたら少し距離を置く、といったかんじでかなりマイペースだというのが個人の見解です。

そんな私が7年間、距離も置かずずっと同じ熱量で追いかけてきたのがニコでした。

ニコを好きになったきっかけはNARUTOのDiverです。

当時中学生でNARUTOが大好きだった私は、Diverを聴いた時に初めて音楽で鳥肌が立ちました。

心地が良くてかっこいい音に乗せて、胸の深いところを突き刺していく、切実な歌詞が書ける人に出会ったのが初めてだったのかもしれません。

「ただの幸せに気づいたらもう二度と 溺れないよ」

この歌詞が強烈に刺さりました。

それからずっと、ほぼ毎日ニコの曲を聴いています。CDやDVDは全部買って聴きました。全部好きでした。

アルバムで買ったら3曲くらいは「これイマイチだな」って思う曲があるんですけど(私個人は)、それがニコだけは全くありませんでした。全部素直に好きでした。

何回も何回も聴いてます。でも、聴きすぎて飽きたとか、嫌になったこともありません。

彼らは、心の底から音楽が好きだっていちばん伝わってくるバンドだと思っていました。事実、いろんなアーティストのいろんな曲からインスピレーションを得て曲に反映させていることが、インタビューとか、ライブのMCとか、音楽から、普段の言葉の節々から、常に音楽にするためのアンテナを張って生きていることがわかります。

彼らほど音楽に貪欲で、技術があって、バリエーションが広いバンドはないなって思います。

毎回毎回新鮮で、研ぎ澄まされていていく。

音楽はなんでも聴くほうです。たぶん。

でも、初対面の人とかと話す時に好きなアーティストは?って聞かれたら「好きなア」の時点で「ニコ!」と反射的に返すくらい好きなのはニコだけです。

たぶんこれからも。

ニコってどんなバンド?って聞かれるのが好きでした。一貫して好きと胸張って言えるのがニコだけでした。もう、アイデンティティのようなものなのでしょう。

だからこそ、今回の終了の報告がいまだによく理解できてないというか。

ツイッターの更新が止まって、ニコモバも機能していない。

そのことに気がついたのは9月の終わりでした。

10月に入るまでは、まあ夏までたくさん働いてたしな〜〜と呑気に構えていたのですが、10月半ばになっても更新されない。その頃からじわりと焦り始めました。

なぜなら、11月末に控える毎年恒例のライブの告知すらなかったから。

それでも、ニコのことだから何かものすごいサプライズがあるんだろうなと、10月いっぱいはそんな風に思ってました。ニコはいつも自分にとっては想像の斜め上を行くような企画をするので、今回もそうだと信じて疑っていなかったのです。

しかし、11月になってもなんの音沙汰もない。もうサプライズでゲリラでもやるんか?と思ってました。

それだったらどんなによかったことか、って話ですけど。

「解散」という言葉が頭をよぎらなかったわけではないです。こんなに音沙汰がないのは、私が応援してた間では初めてだったので。

今までは月一くらいでスタッフ、たまにメンバーの誰かが曲作ってるよとか何かしらの報告があったのにそれすらもなかったから、何か良くないことが起こってるんじゃないかって心配してはいました。

でも、どこかでニコは大丈夫だって思ってた。信じていた。

根拠のない自信がありました。どんなメジャーバンドが解散したって、脱退したって、ニコだけは絶対に大丈夫だと思っていました。自分にとってニコは、どんな偉大な音楽を聴いたって、新しい音が出てきたって、最後にはニコが一番だって思えるようなバンドだった。なんていうんでしょうね、故郷みたいなものですかね?

無理しないでゆっくり休んでとか、なんかすげえの作曲してるのかなとか、最後はいい報告が聞けると思って多少ざわついてはいても、いつも通り過ごしていました。

だから「終了」の報告は想定内のような、想定外のような。本当に複雑な気持ちしかないです。 嬉しくはない。悲しいし寂しい。一滴も泣いてないけど。あまりにも実感がなさすぎた。

穴が開いたみたいだ。虚しいが一番しっくりくるような気がする。

でも「解散」ではなくて「終了」が意味することってなんだろうとずっと考えています。

こじつけみたいな考えだけど「解散」って、「集合」することが出来るんですよね。それぞれの道を行った先でまた待ち合わせることができる。

じゃあ、「終了」は?

あの、唐突な書面だけでは全くわからないんです。

これは「NICO Touches the Walls」の「終了」で何か新体制でスタートするプロジェクトがあるのか、この「終了」は「解散」と同意義で、本当にこの先4人で音楽はやることはないという「終了」なのか。

本当にわからない。

ファンに誠実に、真っ直ぐに曲を届けてくれた彼らが、あの書面だけを残して、あっけなく終わったのが本当に信じられないんです。

ファンそれぞれには歴史があることと思いますが、私にとっては7年、インディーズ時代からずっと追いかけてた人がいたら15年。決して短くはない時間を過ごしてきました。

15年、あれだけの才能があって楽曲提供もせず、ニコだけで曲作ってたのにな。やりたいことって、ニコでいるとできないことだったのかな。今更大人の事情とか言われるのかな。15年経って今更?

考えても仕方ないけど、わかんないから考えてしまう。

あんなにあっさり、ありがとうもさようならも言えなかったこと、書面だけで終わったこと。

モヤモヤだけが残っていて、実感が全然わかないんです。

あの書面には色々な含みがあるように見受けられるから余計にわからない。

でも、もしこの先ニコとして一切音楽をやらないなら、やっぱり終了という言葉が適切なのでしょうね。

希望を持たせない、彼らなりの優しさなのかもしれない。

今年の5月に行った札幌の2日間が、私がみた生のNICO Touches the Wallsの最後になるなんて夢にも思ってませんでした。

みっちゃんが「ロックオペラを作りたい」といったことも、「ニコしかない」って言ってたことも、全部幻になってしまう。

信じられるのは、4人とも音楽をやめることはないだろうなということだけですね。特にみっちゃんは、音楽以外で生きていけないと思ってます。個人的に。

まあ、そうあってほしいという願望です。これは私のエゴです。

今は頭が追いついていないだけ。

これから先、嫌でも実感するんだろうな。

例えば、数ヶ月に一回出ていた曲が、もう二度と出ないということ。

例えば、毎年恒例だったイイニコが、もうないということ。

例えば、夏フェスにニコの名前がないということ。

ニコがなくなる世界を想像していた頃の私は、根底で絶対そんなことないと思いつつ、そんなことになったら泣いて取り乱して何も手につかなくなると思ってました。

いざそんなことになってみると全然違うものですね。

ショックを受けても泣いて取り乱すなんてしなかったし、ふつうに起きて、ふつうにご飯を食べて、ふつうに働いて、ふつうにお風呂に入って、ふつうに寝ている。一滴も泣いてない。

いつもみたいに、移動中にニコを聴いて過ごしている。実感がまるでなくて、あの書面は嘘だったんじゃないかって何回も何回も考える。ツイッターのホーム、公式ホームページ、ふるくんのインスタ。これをみて終わったという文字を見る。

それだけ。

きっと、小さなことでニコを思い出して、少しだけ悲しくなって、それが降り積もって「終了」を本当に実感するのでしょうね。

その頃に泣くのか、その頃までには立ち直ってるのかはわからないけれど。(2019年11月16日)

イイニコの日によせて

10日経ちましたが、私はその間にポケモンと冒険を始めました。意外と元気です。多分。「イイニコの日」をこんな気持ちで迎えるとは思っていなかったわけですが。

でも、イイニコの日だ〜〜!楽しいな!って気持ちになることはこの先なくて、「あ、イイニコの日だし、ニコ聴いておくか」と、彼らを懐かしみ、少し寂しくなる日になるんだろうなと思っています。もうすでにさみしいです。

ニコ以上の音楽に出会っても、この日だけはニコのことを思い出す日なのでしょう。

彼らが永遠であるとの証明は、彼らの曲と一緒に、まだ前に進めていない者がゆっくり行っていくのではないかと思います。(2019年11月25日)

最後に、

仮に、もし、もしも、ご本人様方が読むようなことがあったらあれなんでここに記しておきます。

(いや絶対ないけど絶対にないとも言い切れないということを身をもって理解したので)

この際、音楽を辞めても辞めなくても、もうなんでもいいから、壊した壁の先でどうか幸せでいてください。

ずっと好きです。

世界一好きです。

ライブハウスで聴いたみっちゃんの歌声も、客席までやってきてくれたふるくんの指がエグいギターソロも、坂倉さんの縁の下の力持ちみたいなゴリゴリのベースも、対馬さんのコーラスと臓器が震えるくらい力強いドラムも全部大好きで、宝物です。

15年間、お疲れさまでした。何度も救われました。

ありがとう。