転んだ話

「転ぶ」というドジは、生きていく上で必ず踏んでいく行程だ。

しかし、大抵の場合は自ら死に飛び込んでいく元気な幼少期、或いは年老いて足腰が弱くなった時だろう。

転ぶと当然ながらどこかが「痛い」という感覚をえる。尻餅をつけば尻が痛いし、手首を出せば手首が痛い。

好き好んで自身の体を痛めつける趣味は、よっぽどの変態以外にはないはずなので、転ばないために細心の注意を払うようになる。そうして、人間は成長し、滅多に転ぶことはなくなる。

それは例外なく私にも当てはまることだった。自転車を漕げば転び、走ればどこかしらに傷をこさえ、冬になれば氷で滑って尻餅をつくといった具合で、かなり転ぶ機会が多い女であったが、これでも注意して生きてきた。学習の甲斐があり、転ぶのは冬の数回に抑えられてきたわけである。雪が多く降る地方でなければ、転ばない年もあったことであろう。

凍った道で転ぶことは、もう仕方ないと諦めている。あからさまに凍った道であれば警戒するのが当然であるが、ツルツルなのかそうでないのかわからないトラップが無数に仕掛けられているのだ。

中でも悪質なのが、ツルツルなアイスバーン状態の上に新たに降った雪が積もっている状態のときである。新雪は滑らないため、安心してしっかり踏み込んで歩くが、下がツルツルに凍っていれば宙を舞うのは必然だ。

この問題は靴裏の凸凹で解決できるのだが、その話は置いておくことにする。

当然ながら夏場はアイスバーンのようなトラップは仕掛けられていない。

夏は暑い。これは、目を閉じたら何も見えなくなる、といった類の当たり前の共通認識である。

雪が降ることもないし、道が凍ることもない。

しかし、人は追い詰められていると、何かがこぼれ落ちていく。

私がこぼしたのは「転ぶことに対する警戒心」だ。

私はその日、転んだ時の痛みを思い出していた。

台風が過ぎ去り、快晴が訪れた残暑の話だ。

私はバイト先への道のりを急いでいた。

起きるのが遅くなってしまった私はご飯をかきこみ、適当な服を合わせ、最低限の身支度をして慌てて家を飛び出した。

この電車を逃せば遅刻だ。

焦燥感に駆られた私は、新幹線を彷彿とさせる速度で走っていた。遅刻したら給料が減るのである。なりふり構っていられない。

この日の私は、半袖にワイドパンツを履いていた。いつもと同じような服装だ。しかし、これがいけなかったのだ。

走るときはシンプルな服装が好ましい。派手な装飾は邪魔なのでいらないし、なにより引っ掛かるようなことがあれば危険だ。しかし、遅刻への恐怖はそんな基本的な考えも押し流す。私はひたすら前だけを向いて走っていた。

優雅に歩いていては間に合わないが、全力で走れば行けなくもない時間だった。職場での信頼を積み重ねる近道は、やむを得ない状況ではない限り遅刻や欠勤をしないことだ。根付いた考えは私の鈍足をもウサインボルトへと変貌させた。

よし、この速度でならいける。

私は、勝利を確信した。

これで遅刻はしない。お金も減らない。

が、この油断がいけなかった。次の瞬間、私は地面に横たわっていたからだ。

何が起こったのか全く理解していなかった。真っ白な頭では、身体中が痛いことだけしか認識できないのだ。

私はゆっくりと立ち上がった。両手足に擦り傷ができている。

あ、転んだ。

私はやっと転んだことを理解した。

しかし、一度転んだくらいでは立ち止まっていられぬ。私は稼がなければならない。次の月には推しのイベントが待っているのだ。

ここで稼がねば、いつ稼ぐ?

一般ピーポ〜の皆様にはわからない感覚だと思うが、恥を忍んで暴露すると、私は自転車操業でオタク活動をしている。つまり、給料が入った分だけ使い、貯金をしない。というのがデフォルトだ。余った分は次の月へ回される。

私の労働費は全て推し、あるいはコンテンツの制作に対してのお布施になっていると言っても過言ではないかもしれない。

私が生活をやめれば、推したちはもっと豊かになるのかもしれないが、生活をしないと貢げない。世知辛い世の中である。

私は立ち上がった。全ては推しのためだ。そして、右足から一歩を踏み出した。一歩、二歩、三歩。

よし。走り出そう。

懲りずに走り出した。怪我をしたというのに、良いスタートダッシュだった。まだ大丈夫。間に合う。

しかし気合を入れたのにも関わらず、私は情けないことに三歩走った直後に地面と仲良くしていた。

幸いなのは人通りがなかったことのみである。

かすり傷程度だった膝も肘も両方ズルズルになり、手のひらまで怪我をしていた。体も打ったので動きも鈍った。

私は本気で泣いた。泣きながら駅へ向かった。転んで泣いたのは、小学校低学年の頃に、やっと乗れるようになった自転車で派手に転倒したとき以来だった。しかし、あの頃よりも傷の程度は酷かった。両足、両肘、手のひら、そしてなぜかお腹。擦り傷ができた箇所が、大人になってからの方が多かったからだ。

当時21だった私は、泣きながらバイト先に遅刻の旨を伝えた。手当てをしに戻ろうかとも考えたが、「成人してから転んで泣いた」という羞恥のあまりに、正常な判断能力を失っていた。血まみれのまま電車に乗ったのである。

そして、思ったより早くバイト先に到着した。いたのは店長と契約社員だった。

「遅刻してすみません、おはようございます」と言い出勤のカードを切った私の、なんとボロボロでみすぼらしいことか。

ふたりは一瞬言葉を失っていた。

「え?何?大丈夫?」

かろうじて出た言葉はこんな感じだったと記憶している。あまりにも怪我の程度がひどいうえに私が半泣きなので、大丈夫じゃないことはわかっていても、大丈夫?と声をかけてしまうのは反射的なものだろう。

手当てしな、と救急箱を出してくれた。消毒しながら「ワイドパンツで激走したら2回転んで、派手に擦りむいた。21にもなって情けなくて泣けた」と経緯を語ると、ふたりとも笑い飛ばしてくれた。

この際派手に笑ってもらえなければ、ネタになり損ねた恥を体を張って晒しただけになってしまうのでとてもありがたかった。

この3日後くらいに北海道で大きな台風が上陸し、大きな地震が起きた。打ち身が良くなってきたと思ったら今度は災害で踏んだり蹴ったりであった。

友人やフォロワーにそれとなく心配されたが、何でもない日に派手に転倒し、大きな怪我をこさえ、打ち身の痛さで苦しんでいたが、地震や台風では怪我をしていないと告げると「元気そうでよかった」と笑われた。

地震直後、私は店長に無事であるとの旨とシフトについて尋ねるために電話したのだが、店長は「お、21歳、元気?」と通話開始早々に私の怪我をいじってきた。怪我が治るまでの間、私は店長から延々とこのネタでいじられる羽目になったのである。

私は決意した。二度とワイドパンツで走れメロスのような真似はしないと。

皆さんもオシャレでワイドパンツやサルエルパンツ、ロングスカートなどを履くことがあると思うが、これらは本当に走ることに向いていない。

私はそんなドン・クサ子じゃないわよ!と憤りを覚えても、これらで走るという行為は「社会的恥」の強いやつになりかねない。

成人してから派手に転倒することは、精神的にも身体的にも悲しい影響しかないので、そのような格好で走らなきゃいけない場面はなるべく避けて生きて欲しいと思う。